稼 光浩
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INTERVIEW

Interview Vol.3

〝飛ぶ〟にこだわり続けたエンジニアの
宇宙ベンチャーでの新たなキャリア


技術部門   稼 光浩

1.これまでのキャリア

ーーこれまでのご経験・キャリアを教えてください。

大学卒業後は大手重工へ入社し、ロケットの推進系を開発する部門に配属になりました。

大学ではロケット工学を専攻し、スペースプレーンの打ち上げ能力を最大化する飛行経路の作成に関する論文を書きました。

当時はスペースシャトルが現役で運用されていて、スペースシャトルの次はスペースプレーンだ!という感覚。はじめは計測や計算に興味がありましたが、研究室の先輩の影響もあり、同じ推進系の道に進みました。

推進系というと〝エンジン〟をイメージしませんか?

ロケットの重さの9割以上は推進薬で、それをいかに効率よくエンジンに供給するかが機体の良し悪しを決めるんです。それが推進系です。会社では推進系が全機のシステム設計も担当していたので、はじめはエンジンに推進薬を供給する系統とロケット全機のシステム設計を行う仕事を担当しました。

一つのテーマをチームで行うのではなく、一人ひとりにテーマが与えられました。裁量を持ち、全体との調整を行いながらとても忙しい日々を過ごしましたね。

業務内容に関しては、学生時代からまんべんなく勉強してきたつもりだったんですが、実際に仕事となるとまた勝手が違うと思うことも…。基礎がわかっていなかったり、文化の違いに四苦八苦することもあり、大変でした。

人手不足の時は1人で3つ4つのテーマを掛け持ちするようにもなり、全く異なる分野のテーマを持つんです。上司に聞こうにも近くにいる訳ではないので、とても苦労したのを覚えています。

ーー初めてご自身が関わった打ち上げについて教えてください。

初めての打ち上げは、入社3年目の終わりころでしたね。実際にロケットを作って射場に持っていくと、トラブルに見舞われました。普段やらないようなトラブルシュートの中の打ち上げになりましたが無事成功しホッとしました。そのときは本当に感動しましたね。

私はペイロード部分の担当でしたが、私以外の他のメンバーはそれぞれの担当が成功した時点で「イェーーイ!!イェーーイ!!!」って。設備担当は打ち上がった時点で、もうお祭り騒ぎなんですよね。

でも私の担当は2時間ぐらいずっと仕事があったので、なかなか落ち着くことができずじまい。やっと終わりが見えてきて、騒いでもいいのかな?、なんて思ってたら、テレメーターの表示が高度10kmで止まったんです。「あれ、落ちてこない…」と。結局、着水はしていたことが時間がたってやっと理解できました。そのときにはロケット屋さんはもう建物の前でビールかけをしていました…(笑)

ちなみに、1996年のJ-Iロケットという3段式固体ロケットの打ち上げには INTERVIEW VOL.2 の髙橋もその場にいて、当時既に同じ景色をみていたことになります。また同じ目標を持って仕事をしています。

その時、打ち上げ時間が1時間伸びたことで朝の陽の中でペイロードの分離までがとても美しく見えたのをよく覚えています。種子島は2月は天気が悪いことが多く、これまでは飛んだ後に、すぐに雲の中に隠れてしまうことが多かったので貴重な経験になりました。

ーーロケットから飛行機へ

その後、1998年、1999年にH-IIロケット5号機、8号機が連続で失敗し、人員削減の波を受け航空機部門へ配属が変更になります。担当することになったのは空気力学の元、機体形状の設計を行う部門でした。

これまでの推進系とは異なる技術分野で新しいことにチャレンジすることになったんです。内容としては、ただのオペレーターでなくプランナーのような仕事でしたね。

開発の中で要望を受けて、必要な試験をプランニングしたり、模型の設計を指示したりして実際に試験を行う。空力データを取得して報告するというような、これまでやってきたこととはまったく違うことに取り組みました。

でも、元々の知識だけでは偏っていたと思うので空気力学やその試験技術を経験することができて本当によかったな、と思っています。

仕事における視野を広げられたことは、とても大切なことです。特にベンチャーだと、一人で様々な分野に取り組まなきゃいけなかったり、実際に物を組み立てたりすることになりますからね。現在も当時の経験を活かすことができています。

その後も機械系の技術分野を担当したり、管理職として顧客対応をしたり、幅広い業務を担当しました。

ーー『失敗』もあった

H-Ⅱロケットの打ち上げが失敗した時が一番印象に残っていますね。

種子島宇宙センターでの打ち上げでその時は大型ロケット発射管制塔(通称ブロックハウス)にいました。リフトオフまでは順調で届くデータも問題なく打ち上げは進みました。

ある時、すぐ隣の場所にある計測機器を確認しようと向かったところ、値が大きく乱れていました。その時はロケットからの電波が乱れているのかな、と思うくらい頭に入ってきませんでした。人は思わぬことが起こった時すぐには理解できないんだな。と強く感じたことを覚えています。

2.〝飛ぶ〟ことへの探究心

ーー延べ1900時間のフライトタイム

航空宇宙関係の仕事をするから、〝飛ぶ〟ということを知っておいたほうがいいかな、という思いがありグライダーを始めました。のめり込む性格なのでその後、どんどんはまっていきました。

グライダーってものがこの世に存在することは、大学のサークル活動で知ったんです。でも学生にとってはお金のかかることで、その時は断念せざるを得なくて。それでも忘れられず、社会人になりやっと始めることができました。

社会人1年目で飛び始め、3年目で免許を取得し、今はインストラクターに。現在のフライトタイムは1900時間で、飛行回数5900回を超えていますね。

今も、月に数回ほど乗っています。1回のフライトはだいたい数分なんですが、はじめて飛行時間が24時間を越えたときは、やっと超えた!と感慨深かったのを覚えています。

グライダーで飛んでいるときは、自動操縦の機能はないので、全部自分でやる必要があるんです。短い時間の中で、結構忙しくて。でも高度1kmくらいになると、天気が良ければ富士山なんかも見えることもあって、周りの景色を楽しむこともできますよ。

ーーエンジニアとパイロットの通訳

日本の航空機の技術者で、資格があって自分で飛ぶって人はほとんどいないんですよね。

飛行試験の時には、エンジニアにはテストパイロットの方が言っていることが分からない、テストパイロットにはエンジニアの言っていることが分からない、とすれ違いがよく起こりました。そういったときに私は、パイロットの意図も、エンジニアの意図も分かるので通訳のような役割を果たすことができたのは良かったことの一つですね。

テストパイロットの方も、私がパイロットであることを知っているので、信頼していろいろ話してくれるんです。これは自分が飛んでいないとできなかったと思うので、お互いの理解に一役買っていると思うと嬉しかった。

3.大手企業からスタートアップへのチャレンジ

自身のこれまでメインで取り組んできた推進系の分野の仕事ができることや、学生時代の研究内容など、これまで軸としてきたことに改めて挑戦できるからです。

ここに入社するまでの20年ほどは、推進系とは異なる専門外の分野の仕事をしていました。友人から「こんな会社ができたんだよ」とISCの話を聞き、興味を持ちました。実際に話を聞く中で、技術のバックグラウンドや今後の計画に触れて「これなら!!」と思い挑戦することを決めました。

ーー現在のお仕事内容を教えてください。

エンジンや推進系を担当しています。今までにないロケットを作るにはエンジンの推力をあげ、機体の軽量化が必須であり、直近は性能を向上させる新しい要素を実証機で技術検証するための準備をしています。

新しいSSTO機を作るには、新たな技術を取り入れなければいけません。

この推進系から離れていた20年間で進んだ技術も、過去のスペースシャトルでうまくいかなかった点も理解をしているわけではなかったので、今はそれを集中的に調べています。その中で分かりつつある事をどう組み合わせていくかを日々検討しています。

「これまでなぜできていないか?」を考えると必ず原因があると思うんです。そこを見極めることが大切だと考えています。20年ぶりにこのような仕事に挑戦できることを楽しみにしていました。

ーー大手企業からスタートアップ企業へ転職したことで変化したこと

働き方としては、これまでは仕事のやり方は既に決まっていてスムーズで、レールが張ってあるような状態でしたね。ISCはそこを皆でアップデートしながら作り上げているので、自由度が高く、これまでの経験を活かしながら新たなことに挑戦できる環境です。

また、大手企業の航空宇宙部門は、採算の面や他の部門との関わりの上で制約が大きいと感じたので…その点ISCは制約が少なく、研究開発に集中できます。

ーーどのような経験やマインドを持つ方が求められるでしょうか。

ロケット開発の専門知識があるほうがベターとすると、異なる専門をもつ方にはハードルに感じることもあるかもしれません。

でも、これまで実現できなかったものは〝この分野の常識〟ではできていなかっただけです。

常識の外にいけばできるものもたくさんあって、そういった点をポジティブに考えられることが大切だと強く思います。無意識のうちに制約を設けたり、既存の技術のみで考えてしまうことに気づくことができる力があるといいと思います。

さらに新しいことを知る、ということに貪欲であるマインドを持つことも大切ですね。一緒に常識にとらわれずにやってみたいと感じた方には、ぜひ一度メンバーと話す機会をもっていただければと思います。

ーー最後に

これまで、自分が開発に携わったものを自分で利用することがなかったんです。

旅客機や車なら自分で乗れますよね。でもロケットや戦闘機には乗ることはできなかったので、だからこそ自分で設計したものに乗りたいという気持ちがあります。

2040年には、ぜひ自分が関わった機体に乗りたいです!17年後なので、その頃まで元気でいないといけませんね。

私たちと一緒に
ダイナミックなチャレンジに
挑んでくれる方を募集しています

法務担当マネージャー

将来宇宙輸送システム株式会社の法務担当として、法的リスクの評価と緩和、契約の管理、コンプライアンスの確保など、会社の法的ニーズ全般をサポートします。

ミッション設計エンジニア

技術統括部長の元、垂直離着陸型宇宙往還機(VTVL)のミッション設計を行います。
2026年のローンチを目指しており、各システムの開発チームと連携しながら仕様から開発スケジュールまでを含むミッション設計の業務を担っていただきます。

機体システム開発エンジニア

垂直離着陸型宇宙往還機(VTVL)の機体システムの開発を行っていただきます。
2026年のローンチに向けて、各システムの開発チームと連携しながら機体システムの基本設計、詳細設計、維持設計を行います。

機体構造設計エンジニア

垂直離着陸型宇宙往還機(VTVL)の機体構造の設計開発を行っていただきます。
2026年のローンチに向けて、各システムの開発チームと連携しながらVTVLの機体構造の基本設計、詳細設計、維持設計を行います。

推進系開発エンジニア

垂直離着陸型宇宙往還機(VTVL)の推進系やロケットエンジンの設計開発を行っていただきます。
2026年のローンチに向けて、各システムの開発チームと連携しながら推進系の基本設計、詳細設計、維持設計を行います。

制御開発エンジニア

垂直離着陸型宇宙往還機(VTVL)の制御設計、開発を行っていただきます。
2026年のローンチに向けて、各システムの開発チームと連携しながら機体制御の開発業務を行います。

アビオニクス開発エンジニア

垂直離着陸型宇宙往還機(VTVL)のアビオニクスの設計開発を行っていただきます。
2026年のローンチに向けて、各システムの開発チームと連携しながらアビオニクスの開発担当として、仕様検討から詳細設計までを行っていただきます。

ミッション・有人安全エンジニア

垂直離着陸型宇宙往還機(VTVL)の安全装備設計の開発を行っていただきます。
2026年のローンチに向けて、各システムの開発チームと連携しながら、緊急脱出などのアボート機構や、信頼性の基本設計、詳細設計、維持設計を行います。

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