1.挫折と失敗からスタートしたキャリア
– まずはこれまでのご経験・キャリアを教えてください。
現在はエンジニアとして第一線で開発に携わっているのですが、キャリアの半分以上は主に管理職としての経験を積んできました。
1981年に日産自動車に入社し、宇宙航空事業部に配属されたところからキャリアがスタートしました。
当時はハレー彗星が地球に近づく時期だったこともあり、宇宙科学研究所のミッションである「ハレー彗星の接近観測」を実現するためのM-3SIIロケットを開発している課に配属されたのですが、担当することになったのはのM-3SIIロケットではなく、直径300ミリくらいの小さな観測ロケットの艤装設計や開発でした。
課全体で盛り上がるM-3SIIロケットの開発を横目に、2〜3人の小さなチームで気象観測ロケットの軌道解析・燃焼解析・構造解析・コスト管理など「何から何まで自分たちでやらなければいけない」という環境で貴重な経験をすることができました。
ですが、自分たちが手がけたそのロケットの打ち上げは結果として失敗に終わります。最高高度40kmを目指していたのですが、20kmまでしか飛ばなかったのです。
当時を振り返ると、先輩の指示のもと開発を進めていて、自発的な行動ができていませんでした。空気抵抗の評価など、1つ1つのタスクに注意深く主体的に取り組んでいればこの失敗は防げたのではないかと思います。この経験から「少しでも気になることがあれば、人任せにせず自身でもチェックを行うべき」という教訓を得ることができましたね。
その後、NASDA(宇宙開発事業団、現JAXA)の試験用ロケットの開発を担当しました。当時開発中だったH-II ロケットに搭載される補助ロケットの分離機能を確認するために使われる、TR-Iロケットという試験用ロケットの開発です。
このプロジェクトもいわば裏方。花形のH-II ロケットの裏側でひっそりと開発を行っていました。
– まずはこれまでのご経験・キャリアを教えてください。
チーフエンジニアとして、J-Iロケットという3段式固体ロケットの設計/開発を担当するところからですね。初号機のミッションは「日本版スペースシャトルを極超音速領域に投入する」という大きなものでしたが、1996年に無事打ち上げが成功しました。ですが、製造コストの高さがネックとなり初号機のみで製造が終了してしまいます。
続いて、J-Iロケットの改良型であるGXロケットの開発がスタートしました。IHIと日産が手を組んだプロジェクトで、両社の宇宙航空部門の合弁で「IHIエアロスペース」という企業が生まれ、米国ロッキードマーチン社とも提携。まさにこれから開発を進めていく、という最中で「事業仕分け」により開発を中断しなければいけなくなりました。
私はプロジェクトマネージャーとして、開発途中だったLE8エンジンと命名された製品の開発完了までを見届けました。青い炎が美しかった。
余談ですが、近年は各国でLNG/メタンを燃料とするロケットエンジンの開発が盛んです。あの当時にもっと開発に力を入れていれば、日本は世界のトップを走っていたはずなのに…と少々残念に思うこともあります。
2.宇宙を離れ、マネジメント中心のキャリアへ
前述のプロジェクトの後、経営企画部門でプロジェクトを束ねる立場を経験し、しばらくは宇宙とは離れた開発プロジェクトを中心に担当することとなります。
まずはIHIの自動車用ターボチャージャを作る部門で、燃料電池用自動車(FCV)に空気を供給する装置のプロジェクトマネジメントを担当しました。
苦戦しましたが、完成品を搭載した車が東京モーターショーにも出展された時は嬉しくて見に行ったことを覚えています。高額かつ時期尚早すぎたことからあまり量産はされませんでしたが、宇宙と違う領域は新鮮な経験でしたね。
その後、IHIジェットサービスで自衛隊や海上保安庁の航空機を塩害から守るため、着陸後に水で洗浄する装置のプロジェクトマネジメントや、設計部長として設計部門のマネジメントを担当しました。
そして、2022年10月に将来宇宙輸送システムに入社します。宇宙産業を離れて8年あまり、「帰ってきたぞ!」という気持ちで嬉しかったですね。同時にこれまで長く務めてきたマネジメント・管理職としての業務を離れてエンジニアとしての挑戦を再び始めました。
開発現場に戻って「やっぱり自分はエンジニアなんだ」と感じることが多く、率直に仕事を楽しんでいます。管理職としてキャリアアップをしてきましたが、マネジメントの仕事や責任者としてハンコを押すことが中心で、開発現場を遠くから見ていることに対してもちろん貴重な経験ではありましたが、少し辟易していたのだと気付かされました。
3.スタートアップで感じたポジティブなギャップ
– 現在の職務内容を教えてください。
当社が開発しているのはいわゆるスペースプレーン、ロケットと航空機が合体したような機体です。
機体はロケットエンジンや各種構造系、電気系など様々なサブシステムから構成されているのですが、私はそれら全ての設計結果を束ねて一つの機体にまとめる業務を担当しています。機体開発全体を見る役割ですね。
これまで開発現場もマネジメントも経験してきたので、それぞれの専門性を理解しながら調整することができていると感じています。過去の挫折や表舞台ではないところでのさまざまな経験が一つにまとまって、今の業務に生かせています。
– 過去と現在の業務で感じるギャップはありますか?
ポジティブな意味で自由度が高いですね。過去在籍していた企業はいわゆる大手企業だったこともあり、例えばパソコン上のデータを扱う際に直接外部接続できないなど、業務において多くのルールがありました。
当社の場合、クラウドサービスなどを活用し効率を重視しながら管理していることもあって非常に便利ですね。機体デザインに使用しているiPadも前職までは使用できないこともあったのですが、現在は常に持ち歩いて活用しています。
また、IT業界出身のメンバーを中心に、チャットツールやアジャイル開発の導入など新しいコミュニケーション手法や開発手法を積極的に取り入れている点も、以前はどちらも固定化されていて当たり前のものだったので、ある意味でのギャップですね。変化のスピード感が非常に速く、刺激的な日々を過ごしています。
– 働く中で感じる自社の魅力はなんですか?
大きく2つあると思っています。
一つ目は社内の活気です。当社は仕事に脂が乗った40代のメンバーが多いのですが、彼らが活躍している姿を見て、力強さや刺激を感じています。
特に創業メンバーの推進力には驚かされますね。日々「できっこない」と感じるレベルの高く速いスプリントを求めてくれます。
また、先ほどもお伝えした通り、変化のスピード感が非常に速いです。便利なITツールの活用を提案してもらう機会も多く、自分のリテラシーの低さを感じることもありますが、日々吸収しながら成長できている実感がありますね。
二つ目はどのようなスキルの方でもフィットしやすい環境です。当社は宇宙産業の企業の中でもこれまでの経験が生かしやすく、定着できる可能性が高いと考えています。
その理由は、重工系の機体開発だけでなく航空会社のような輸送サービス・教育・アトラクションまでさまざまな領域がビジネスのスコープに入っているので、一つの領域で成果が出せなくても別の分野で活躍できる可能性があるからです。
組織として幅広い課題に挑戦しているからこそ、ご自身の強みを生かしていただけるチャンスと夢があるのではないかと思います。
4.仲間に求めるのは未知を楽しめるチャレンジ精神
– 事業を発展させるために、どんな方のお力添えが必要ですか?
専門知識を貪欲に学び、手探りの中で輸送機完成に向けて前進する目標を立て、目標達成のために奔走できる方とご一緒したいですね。貢献できるスキルの幅は非常に広く、多種多様なご経験を求めています。例えば、機体の機動計算ができる方や、座席の乗り心地を改善できる方の知見も必要としています。
しかしながら、まだ明瞭かつ細かな戦略・戦術まで落としきれているわけではありません。登りたい山は大体決まっているが、山の登り方を模索している最中のようなイメージです。ですので、スペースプレーンを開発するために組織として何が必要なのかを言語化するところから共に取り組んでいただけると心強いな、と考えています。
とはいいつつ、私の技術担当分野では特に「軽量化」の知見を求めています。当社が目指している機体は軽量でないと成り立ちません。そのため、機体や搭載品を少しでも軽くできる金属/複合材料技術をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひお力をお借りしたいと考えています。
– 最後に読者に向けて一言お願いします!
当社が開発した機体が宇宙を飛び、誰でも宇宙にアクセスできる時代がきっと訪れます。
昔は南極は探検家が行くところで、一般人が行くことは不可能とされていました。しかし今は南半球のある島から簡単に上陸することができます。
宇宙も、今は不可能だと思われるかもしれませんが、きっと南極のように誰でもその気になれば行ける場所になるはずです。
ただ、それを達成するために、メンバーには未知の中で手探りのチャレンジをし続ける、不断の努力が求められます。私は64歳になりましたが、自分の知識に囚われず、技術士の資格取得への挑戦など目標達成のためにできる努力を惜しまないようにしています。
私のチャレンジを通じて、「自分の年齢を理由にまだ伸びる能力に蓋をせず、誰でもチャレンジできる環境がある」ことを伝えられたらと思い、今回インタビューに参加させていただきました。
当社にご応募いただくことがなくとも、年齢や境遇関係なくチャレンジする皆さんの勇気につながる一助となりましたら嬉しく思います。